野外研修会をふりかえって
この度日本植物分類学会と植物分類地理学会とが統合して、新しく「日本植物分類学会」となり、2001年5月より発足することになった。設立の歴史や性格も互いに異なる両学会が、ここにめでたく統合できたことは、日本の植物分類学・植物地理学の発展のためにも大変喜ばしい事である。
今年度は野外研修会が、東京大学大学院理学系研究科附属植物園長邑田仁氏のお世話で、7月20〜22日、埼玉県秩父郡大滝村栃本にある東京大学農学部秩父演習林で実施されることになった。この行事は今まで植物分類地理学会で企画されてきたものであるが、そのまま新しい「日本植物分類学会」の野外研修会として実行されることになった。
ここで植物分類地理学会が1949年戦後の復活をとげて以来、傳統行事として永らく続いてきた野外活動に関係してきた一人として、野外研修会なるものをふりかえってみたい。
植物分類地理学会が1933年に設立されて以来、頭初は野外例会として行われていたようである。1933年4月27日、京都府宇治の喜撰山で実施されたのが最初で、飛騨中山七里(同年9月23ー24日)、京都老坂方蔓(旧山陰道山城と丹波の国境、1934年5月27日)などの記録が残っている。
1943(昭和18)年、小泉源一博士還暦記念号として植物分類地理(Acta Phytotaxonomica et Geobotanica)第13巻が刊行されて以来、戦争により学会の活動は中止されていたが、1949(昭和24)年9月に北村四郎博士らの努力によって植物分類地理第14巻1号が復活された。この年の10月30日に大山崎より善峰寺を経て向日町に至るコースで生薬学会と合同で植物採集会が行われた(植物分類地理14巻2号裏表紙内側に記録)。この頃から1989年まで、私が植物分類地理学会の庶務・会計を担当することになった。野外活動の一環として植物採集会という名目で、雑誌の復刊とともに再開された。戦争の為にあらゆる文化活動も低迷していた当時の人々にとって、野外に出て自然を相手に観察・研究する催しの復活は大変受けたようである。各地で自然の動植物を相手に、同好会や研究会も次々と復活した。これらの各地方の同好会や研究会の催しに講師を派遣してその活動を助け、学問の普及をはかり、健全な会の育成に寄与することも、特に植物分類地理学の発展のためには大切である。
兵庫県生物学会、近畿植物同好会、京都植物同好会、美作博物同好会、長野県植物研究会、山口生物学会、鳥取県生物学会、石川植物の会、じねんじょ会、岐阜県植物研究会、徳島県植物同好会、大江山自然愛好会などとの共催もしばしば企画された。
1977年頃から採集会という名前は時流にそわないし、学校関係や公的な研究機関からの出張も認めてもらえないので改めてはどうかという意見が会員の中から寄せられるようになり、1977年から採集会という催しは野外研究会という名称に変更された。しかし野外研究会という名前はちょっと堅苦しい。もっと従来のように気楽に一箱の人達も参加できる雰囲気が名前の上にもほしいという意向で、1984年頃から「野外研修会」という名称が用いられるようになった。
終戦後、植物分類地理学会が活動を再開した当初は、年に2-3回こうした野外活動が持たれていたが、企画や事前交渉に大変な労力が必要なことから1967年頃から年1回というのが定例化したようである。
最初から数えるとその回数は70回に達し、この野外研修会に参加して大変興味を持ち植物の研究を志したという方々も、現在第一線で活躍していらっしゃる研究者の中に何人かいらっしゃることや、この催しによって各地から集められた資料や標本の数も膨大な数に達し、日本の植物分類学・植物地理学の発展に大いに寄与していることと思われる。
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