伊達騒動 「分類学・系統学・生態学」

東北大学理学部生物学教室 1996年4月22日

「イントロダクション:分類学者・系統学者への質問」 酒井聡樹(東北大・院・理・生物)
「生態学から見た分類学」 西脇亜也(東北大・農・陸圏修復生態)
「分類学・系統進化学・生態学の接点を目指して:新大陸マメゾウムシ科の寄主植物利用から見た群集構造」 嶋田正和(東京大・院・広域システム・生物)
「分類学と種について考えると」 大橋広好(東北大・院・理・生物)
「分類学における形態研究の役割」 根本智行(東北大・院・理・生物)
「分類学と系統学:ある蜜月の終焉」 三中信宏(農環研・計測情報)
「これから植物分類学はどこへ行くべきか?」 村上哲明(東京大・院・理・植物園)
「系統樹から種間相互作用の歴史を読みとる」 横山 潤(東北大・院・理・生物)

「分類学・系統学・生態学」と銘打ったワークショップ(伊達騒動)が,1996年4月22日に東北大学理学部生物学教室において行われた。そもそものきっかけは,広瀬忠樹先生(東北大・院・理・生物・植物生態)と私が,東北大の植物分類学研究室と植物生態学研究室で合同セミナーをしてはどうかと話し合ったことであった。さっそく横山淳さんに話を持ちかけたところ快諾を得たので,私が講演者の人選を進めた。実を言うと初めの狙いは伊達騒動を起こすことではなかった。しかし,某氏と某氏を誘ったあたりから事態は急変した。そのため,何人かの方に「話が違う」とお叱りを受けることになってしまった(事実,話は違っていた)。もちろんこの責任は私一人にあり,広瀬先生や横山さんには何の責任もない。しかし,伊達騒動は非常に有意義なものであったと私は思っている。今回,講演者のうち何人かの方が原稿を寄せて下さったので,読者の皆さんも当日の雰囲気をぜひ感じていただきたい(文責 酒井聡樹)。

1)生態学者が本当に必要なのは系統樹だけ。その利用法は,種間比較をするときの系統の影響の解析である。だから分類体系は,科学的な意味においては生態学者にとって必要ではない。また,分類体系を必要としている他の分野も私には思い浮かばない(三中さんの議論参照)。そこで第一の質問:分類体系を構築する目的は何ですか?  しかし,系統樹上の全単系統群の名称を与えるシステムはあれば便利である。たとえば,「カエデ属における分枝伸長様式の適応進化」という論文(私の学位論文!)を書くのに,「カエデ属」という呼び名が無いと不便だ。しかし現在の分類体系は,全単系統群の名称を与えるシステムとして発達したわけではないため,名称の無い単系統群が多数存在するということになってしまっている。たとえば上図の亜科と連の間には,「あ」「い」「う」という三つの名前の無い単系統群が存在する。これでは,これらの単系統群を対象に研究をするときに不便である。分類学的にはたぶん,「あ」・「い」・「う」ではなくA亜科・A連・B連・C連・D連・E連に名前を付けることに意味があるのであろう(これらの亜科・連は多くの形質を共有しているとか)。しかし他の目的を持つ者にとっては,「分類学的に意味のある単系統群」を対象に研究することが「意味のある」ことであるとは限らない。たとえば,種子の散布様式(風散布か動物散布かなど)の進化に関する仮説を検証するため種間比較を行うとき,情報量は多ければ多いほど良い。だから,A連を対象とするよりも「あ」や「い」・「う」を対象とした方が良い研究となりうる。しかしこれらに名前が無いのでは……………。「う」なら「A連およびB連の研究」で済むが,「あ」となるとかなり面倒くさいぞ。  私は,名前の無い単系統群の存在は案外深刻な問題をはらんでいると思っている。名前の無い分類群は研究対象として意味がないと思いこんでしまう可能性があるからである。つまり,A亜科・「あ」・「い」・「う」・A連・B連・C連・D連・E連を研究対象の候補として見るのではなく(連より下のレベルは省略),「あ」・「い」・「う」を始めから除外して考えることがありはしないかということである。  名前の無い単系統群をなくすために分類階級の数を増やすのは愚かなことである。私が欲しいのは,系統樹上での位置を記号で表記してしまうとかいった,実用的な名称システムである。

2)系統関係を推定するために長い間努力を重ねてきた系統学も,分子系統樹という最終兵器を手に入れつつあるようだ。私は,系統樹を得た分類学者・系統学者の次のステップを早く見たい。第二の質問:分類学・系統学はどこへ行くのでしょうか?

3)第三の質問:”種”の概念はそんなに大切なことなのですか? 私は,北海道のある植物と九州のある植物が「同種である」といったことに興味がない。またその植物が,北海道と九州では「同種でありながら生態的特性が違う」といったことにも興味がない。私が興味があるのは,北海道と九州に遺伝的に非常に近く交配可能な集団があるということであり,それらが,遺伝的に非常に近いのに生態的特性が違うということである。つまり,異なる集団を見るときに私が用いる尺度は,交配の可能性や遺伝的距離といったことである。「種とは何か」という概念を持ち出して,それを北海道の植物と九州の植物にことさら当てはめてみる必要はない(同種と認識することの便宜性は別である)。むしろ,進化生態学者である私が知りたい個体より上の単位は集団の方だ。たとえば,同一地域にいて交配可能な個体の集まりが集団?しかし,無性生殖をする場合はどうなる?あれっ,どこかで聞いたことがあるな?実は,多くの人が悩んでいるのは「種の概念」ではなくて「集団の概念」のような気がするのだが。