去る4月22日,東北大学で「分類学・系統学・生態学」と題されたセミナーが開催された。この席上で現在の「分類学」に対していくつかの問題が提起された。そのうち中心的な話題は,分類体系の構築をめぐる問題と,「種」をめぐる問題であったと(個人的には)理解している。セミナー席上では話題の中心とあまり関係ない話をしたが,ここでは上述の二点に関して私見を述べたい。
分類体系と系統樹 分類学が立脚している2つの経験則(矢原 1984)のうち,分類群間に認められるヒエラルキー的序列は生物進化の過程での系統分岐を反映したものであると認識されている。したがってヒエラルキー的序列を表記する手段である分類体系は,系統関係を正しく反映するよう構築されるべきである。現在の「系統分類学」(体系学と呼ぶべき?)では,常に「自然分類」をめざすのであるから,分類体系が系統関係と矛盾することは許されないのは単に私の個人的な見解ではないはずである。この点において,(言葉の使い方には違いがあったと思うが)このセミナーに参加された方々の意見はおおかた一致していたように思う(反対の意見を持たれている方もセミナーに招待すべきであった)。この見解にたてば,正確な系統関係が明らかになって現行の分類体系との食い違いが認められれば,その食い違いは系統関係に沿って改められなければならない。実際,近年の分子系統学の発展により,さまざまな生物群で正確な系統関係が比較的簡単に得られるようになったため,これまでの分類体系の見直しが迫られる例も増えてきている。例えば,現在生命誌研究館のグループを中心に進められているオサムシ科の分子系統解析では,従来生殖器形態でまとめられていたグルーピングが全く系統を反映していないことが明らかになった(谷本 1995)。このグループでは生殖器形態が最も重要な(系統を反映した)分類形質と考えられてきただけに,単に地理的に近いものどうしが系統的に近いことを示したこの結果は特に注目に値すると思う。 オサムシの例では,まだ具体的な分類体系の再構築に至っていないが,真核生物全体の分類体系の中には分子系統解析の情報が分類体系の改変に大きく関わった顕著な例を見ることができる (Cavalier-Smith 1993, 1995, 井上 1996) 。黄色植物を中心に従来菌類や原生動物の一群とされたものを含むストラメノパイル (Patterson, 1989) や,繊毛虫,渦鞭毛藻類,アピコンプレックス類をまとめたアルベオラータ (Cavalier-Smith 1990) は,微細構造上の類似点以外に分子系統解析によって単系統群となることが示されたことが,それぞれのグループを分類群として認める動きの原動力となっている (F嗷ster et al. 1990; Gajadhar et al. 1991, Leipe et al. 1994, Van der Auwera et al. 1995, Melkonian et al. 1995) 。これらの他,真菌類やいわゆる藻類の新しい上位分類群の設定には,形態的,生化学的な形質に対する補助的な位置ではあるものの,分子系統の情報が重要な根拠として取り上げられる例が増えている(例えば Andersen et al. 1993, Saunders & Kraft 1994, 山田 1994) 。 分子系統の情報を正確に取り入れた分類体系は,生物進化研究の適切な参照大系としても重要であるが,進化研究に新たな示唆を与えてくれる情報の「引き出し」としての機能も合わせ持つ。例えば,上述のアルベオラータに含まれるアピコンプレックス類は,ミトコンドリアゲノムの他に,約35kbの環状の核外ゲノムを持っており(Feagin 1994),rRNA遺伝子を含む逆位反復配列や原核生物型RNAポリメラーゼオペロンをもつこと(Palmer 1992),細胞内の2重膜小器官内に局在すること(MacFadden et al. 1996)などから色素体ゲノムと相同であると考えられている.このことはアピコンプレックス類が光合成生物から進化した可能性を示唆しているが,ちょうどアルベオラータには光合成を行う渦鞭毛藻類(すべての種が光合成を行うわけではない)が含まれている.渦鞭毛藻類は真核共生(井上 1996)で色素体を獲得したものが大部分と考えられているが,なかには一次共生(原核−真核共生)によって色素体を得たものもある可能性も否定できない(堀口 1996)。もしそうなら,渦鞭毛藻類とアピコンプレックス類の共通祖先で色素体が獲得された可能性が浮かび上がってくる。形態的には似ても似つかない渦鞭毛藻類とアピコンプレックス類は,もともとは互いに直接の系統的つながりを持たないと考えられていたので,系統関係を考慮に入れた分類体系によってアルベオラータとしてまとめられていなければこのような発想は生まれてこないであろう。(渦鞭毛藻類での一次共生の可能性も含め,この問題の解決は真核生物の進化を考える上で重要な情報を提供してくれるのではないだろうか。) 最後に系統関係を分類体系に正確に反映させる際に,しばしば問題にされる「ランクの氾濫」について私見を述べたい。正直なところ,私にはなぜ「ランクの氾濫」がそんなに問題になるのかよく理解できない。既存のランクに不足した場合,適当なレベルで新たにグルーピングをする事はこれまでも結構普通に行ってきたことではないだろうか(動物で使う「群」など。最近ではCavalier-Smith (1993)がいろいろと聞き慣れない階級を作っている)。系統樹上のすべての分岐に名前を付ける必要は必ずしもないと思うが,あれば便利な位置には適宜名前を付けていけばよいのではないだろうか。
もっと「種」に情報を 分類学の用いる単位の中でも,「種」は生殖集団という側面も持つことでほかの単位と異なっている。生殖集団という側面から「種」を定義した生物学的種概念は,こと(α分類のある程度完成した)後生動物の分類においては広く一般的に用いられている。この種概念では,有性生殖による個体間のつながりに注目して「種」を捉え,生殖的隔離機構の発達によって有性生殖によるつながりが絶たれることを「種分化」と定義する。この種概念で定義される「種」は,同「種」とされるものは潜在的には自然状態で交配可能であるが,別「種」とされるものは自然状態では(たとえ同所的に生活していようとも)交配不可能であることがはっきりとわかる点で,他の種概念で定義される「種」よりも生物進化研究においては有用性が高いと思う。私は個人的には,陸上植物の分類においても生物学的種概念を可能な限り適用すべきであると考えているが,実際には普遍的な種内倍数性の存在などから,生物学的種概念を厳密に適用することは困難で一般に行われていない(伊藤 1996)。 しかしここでは,厳密に生物学的種概念を適用するか否かを特に問題にしたいわけではない。ここで述べたいことは,「種」を設定する際には用いた概念を明示し,可能な限りの定義基準を明らかにすべきであるという点である。ある「種」がどのような種概念に基づいて設定されたのかは,その「種」の分類学的な研究状況を知る上でも,あるいは他の進化研究の材料として用いる場合にも有効な情報となるであろう。しかし,陸上植物のモノグラフでは,「種」をどのように定義するか,どのような種概念を用いているのかということがはっきりとふれられていない傾向にある(Luckow 1995)。ほとんどの場合種概念が明示される(一部の)後生動物の場合とは大きく異なっている。Luckow (1995) が指摘しているとおり,植物学者はもっと自分の用いている「種」がどのような基準によるものであるのか,はっきりと述べる必要があるのではないだろうか。 また,他の「種概念」に照らして再考できるように,「種」の記載に際してもできる限りの情報を盛り込むように努力する必要があると思う。もちろんすべての場合において形態的特徴以外の記載条項が集められるとは限らないと思うが,その種が近縁種とどのような過程を経て分化してきたのかについて指し示すようななんらの証拠があれば,あわせて提示すべきであろう。例えばある「種」が近縁種との交配実験や近縁種を含めたゲノムの調査などを通して決定された場合,記載には当然そのような情報も盛り込まれるべきである。記載に含める条項の参考になる基準として,White (1978) が提示した分布,形態的特徴,染色体(数,核型など),生態的特性,交配実験の結果などの13項目には注目すべきであろう。無論今日的な目で再検討を要する項目や追加すべき項目もあるが(例えば近縁種との系統関係など),大筋では対象生物を生物学的な種と認めうるかを判定するための必須の情報を枚挙したものとして現在でも評価されるべきである。さまざまな情報が明示されることで,他の種概念にてらした判断も可能になり(伊藤 1996),他の進化研究の材料として適当かどうかの判断も容易になる。特定の分類群においてさまざまな情報を集積しておくことは,「種」や種分化の研究を行う上での重要な情報源となるばかりでなく,他のさまざまな分野の研究分野と情報を共有する上でも重要であると考える。
陳謝 本原稿をギリギリまで待っていただいた酒井聡樹氏(東北大・院・理・生物)とニュース担当幹事の永益英敏氏(京都大・総合人間)には大変ご迷惑をおかけいたしました。この場をお借りしてお詫びいたします。
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